「何故か多くの人が同じ行動をとって同じ考え方や価値観で生きている」

僕がそんなことにだんだんと疑問を持ち始めたのはたしか高校生ぐらいからでした。

 

少数派と多数派の意見のどちらが正しいかは時と場合によりますし、必ずしも正しいか間違っているのかの2つの選択肢だけで解決できない場合もあると思います。

 

それでも明らかに少数派の意見が合理的であり、論理的に正しい場合でも少数派というだけで多数派の意見に勝てないのが僕たちの生きる日本という社会です。

 

あなたも会社や学校などその他多くの場面でも少数派の意見が「悪」のように扱われていることに疑問を持ったことがあるのではないでしょうか?

 

●正しいかどうかではなく少数の意見が潰される社会

社会人として働いていると少数派の意見はことごとく潰されてしまいます。

特に日本では「空気を読む」という常識がありますから多くの人が同じ意見で肩を並べようとしがちです。

 

心の底では少数派の意見に賛成しているのに多数派の意見のふりをしている場合も多いのではないでしょうか?

それは少数派の意見を言うと周りから白い目で見られてしまうからですよね。

 

会社で不満を持ちながらもみんなが同じように働いているため自分も同じように働くなどはとても良い例ではないでしょうか?

どこの集団にいても少数派の意見の人はいると思います。

 

僕は少数派の意見を全面に打ち出して周りとうまく馴染めていない人をこれまで数多く見てきました。

日本では多くの場合に少数派というだけで周りから除け者扱いされてしまうようです。

 

僕は社会人になってから周りと合わせるということがとてもうまくできるようになりました。

でもその反面自分らしさはどんどん失われていくことを感じて生きるようになりました。

 

学生時代はあまり周りの意見など気にすることなどなかったため、僕は割と自由に生きていた方だと思います。

それでも当時から少数派であることに違和感のようなものを感じることは多々ありました。

 

子どもの頃から多数派の意見でなんの問題もなく生きている人もいますので、そういった意味では僕は昔から周りとは少し変わった考えを持つタイプであったと言えるのかもしれません。

 

社会に出てからはこんなに自分を出すことができないのかとよく悩んでいました。

 

たとえ少数派の意見が合理的に考えられたものであって、長い目で会社のためにもなることだとしても誰もそういった意見を言う人はいません。

会社の売り上げが悪くなっても、人がどんどん流出してもこれまでの体制を変えようとしないなどどう考えてもおかしいですよね。

 

ただ単純に「少数派の意見だから」という理由で多く場合は非常識だと思われたり、深くその意見に対して突っ込まれることもなく潰されてしまうのが日本の社会なのかもしれません。

 

「赤信号みんなで渡れば怖くない」

ではありませんが、足並みを揃えてみんなで同じ意見を持ち共感することが日本では美徳のようです。

 

●実は少数派の意見に多くの人が共感している

僕が小学生の頃に「学活」という授業があり、ひたすら一つテーマに関してクラスのみんなで意見を言い合う授業がありました。

みんなが自分の意見をぶつけ合って時には少数派の意見が多数派を論破されることもある面白い授業であったと今では懐かしく感じます。

 

その頃はみんなが言いたいことを言っているのに何故か空気感にまとまりがありました。

 

みんなが言いたいことを言っているのに開放感がある不思議な空間は偏見などない自由な子どもたちだからこそ可能な世界観なのかもしれません。

 

大人になるにつれて何故かみんなで足並みを揃えているにもかかわらず閉鎖的な空気を感じたことはありませんか?

 

それは間違いなく多くの人が本音で語っていないからだと思います。

たしかに自分のことだけしか考えずにただ文句を言いたいだけの人も少なからず存在するでしょう。

 

それでもただ「少数派だから」という理由で意見交換の場さえろくに持つことのできない社会のシステムはおかしいと思いませんか?

実は多くの人が少数派の意見に心を動かされていたり、共感を得ています。

 

世の中に何か偉業を残した偉大な成功者達などは間違いなく世間一般では受け入れられず非常識な人として扱われていた例ばかりです。

たとえ自分が少数派の意見であっても、自分の信念を曲げずに突き進んだ先に大きな成功があることに偉大な成功者達は気付いていたのかもしれません。

 

僕たちはそんな少数派の意見の言葉を聞いて憧れたり、多くの共感を得たりします。

それは少数派の意見が本当は正しいと言うことに誰もが気付いている何よりの証拠ではないでしょうか?

 

多くの人は、組織の利権関係や自分の保身、今ある一般常識をもとにもっともらしく自分の意見を言います。

そうすれば大概は多数派に回ることができるために組織においては共感だけは得られるでしょう。

でもそれが正しい意見だとは限りませんよね。

 

日本には高い技術があり、多くの素晴らしい慣習があるにもかかわらずどこか閉鎖的な空気が流れています。

僕が学生の時代から不景気という言葉があり、いつしかそれが当たり前になりました。

 

大人になって感じたことは「誰も自分の意見を言わない、あるいは意見がない」ということが日本の閉鎖感に繋がっているのかもしれないということでした。

 

それは日本の社会が少数派の意見が正しくても潰されてしまうシステムに多くの人が気付いている現れなのかもしれません。

僕もそうでしたがそんな生活を何年も続けていると「周りの空気に意見を合わせる」ことが普通になってしまいます。

 

それでは個性などは育まれるわけがありませんよね。

そしてそんな背中を次の世代に多くの大人達が若者に見せているわけです。

 

●個性の時代はとっくにやってきている

 

たしかに少数派の生き方や意見を言うことは簡単なことではないかもしれません。

 

時には自分自身が傷ついたり、周りから嫌われてしまうこともあるかもしれません。

でもあなたが正しいと思った生き方、正しいと思う信念を持って意見を言うことはそんなに悪いことなのでしょうか?

 

実際にそんな自分の個性を前面に出している人の方が魅力的であったりします。

 

何者にもなれずただ周りと同じように生きていくよりも、自分が正しいと思った道が茨の道であっても強く生きていくことが大切なのではないでしょうか?

 

僕は自分自身を見つめ直して「周りに合わせなくてもいい、もっとありのままの自分で生きる」と決めてから自分の人生の景色が変わり始めました。

 

あなたも自分が多数派ではなく少数派だと思ってこの記事を読んでくれたのかもしれません。

あなたはそんな自分の気持ちがおかしいのではないか、もっと周りと合わせなければいけないのではないかと思われているかもしれません。

 

最低限のマナーがしっかりしていれば、人はもっと自由に生きていいのです。

そんな人が一人でも増えればこの社会はもっと生きやすくなると思いませんか?

 

大人になってからの生き方は会社員という選択肢だけではありません。

いい大学に行って大企業や公務員になることが人生の正しい選択とは限らないのです。

 

むしろこれからの時代はそういった古い常識に染まって生きていこうとするほど生きづらくなる時代です。

多くの人が気付いていないだけで個性の時代はとっくにやってきているのです。

 

もしかしたらあなたもそんな社会の変化に気付いているのかもしれません。

あなたはもう自分が多数派か少数派かという小さな枠に自分をはめ込む必要はありません。

自分を見つめて自分らしく生きるにはどうしたらいいのかを考えてみてはいかがでしょうか?