人生生きていると衝撃的な出会いが何度かあると思います。

10代や20代といった感性がまだ未発達の時期に多いかもしれません。

誰しもが何かに強く惹かれたり影響を受けたことはありますよね。

 

それはなぜだと思いますか?

あなたが影響を受けたことに対して何も感じない人だっています。

むしろその方が多い場合がほとんどだと思います。

 

あなたが強く影響を受けたことはあなたのコアの部分に深く関係しているから影響を受けたのです。

あるいはその可能性が非常に高いと思います。

また、何かにせっかく影響を受けたのならそれを自分の人生に生かしていきたいですよね。

 

ではどうすればそれが可能になるのでしょうか?

僕は自分のメディアを持ってプレイヤー側になることだと思っています。

つまり受け手側から発信者側になるということです。

 

人は誰しも何かに影響を受ける

人は誰しも何かに影響を受けています。

良くも悪くも環境に人は影響されると言われていますよね。

例えば自分の近しい人5人の平均年収が自分の年収になっているなんて話しは有名です。

だから自分を変えたかったら環境を変えましょうと言われるわけですね。

 

影響を受けてもほとんどの人が変わらない事実

たしかに人は環境に影響を受けます。

その中でも特に大好きなことやハマったものなどがあると思います。

例えば好きなミュージシャンとかスポーツ選手、尊敬する人や大好きな物のことです。

 

影響を受けた理由は様々あると思いますが、その人の生き様や大好きな物ができていく過程、背景に惹かれている場合がほとんどではないでしょうか?

大好きな物に関してはそれが作られる段階で作り手のエネルギーや情熱が入っているから惹かれるのかもしれません。

そんな影響を受けた「何か」に僕たちは間違いなく生き方や考え方にまで影響を受けているはずです。

 

でも多くの場合、衝撃的な出会いとは裏腹にいつも通りの日常が続きます。

衝撃的な出会いと言っても人生レベルで考えるとただのイベントになってしまう場合がほとんどいうわけですね。

それはなぜでしょうか?

 

自分のメディアを持ってプレイヤー側になる

多くの場合、何かに影響を受けてもその生き様を自分で体現しようとする人はほとんどいません。

・自分になんて無理だ
・あの人は特別だから出来たに違いない

などと知らず知らずのうちに自分の可能性を閉じてしまうわけですね。

 

これってとてももったいないことだと思いませんか?

僕はサッカー選手に影響を受けたからサッカー選手になれと言いたいのではありません。

あなたが影響を受けた何かと同じ生き様を体現したいと思ったのならどうやってもプレイヤー側になるしかありませんよね?

 

自分のメディアを持ってプレイヤー側になって欲しいとは書いてはいますが、人生において自主的な行動を起こす場合はすべてプレイヤー側であると僕は思っています。

 

例えば

・自分のメディアならブログやSNSで情報発信すること
・人生においてなら学校や会社で一生懸命自主性を持って取り組むこと
・奥さんの家事を手伝ったり、大切な人のために自ら動いてあげること
など

 

なんでもプレイヤー側に回ることは可能です。

僕でしたらこのブログが生き方の一つになります。

マキシマムザホルモンというバンドの亮君はライブに来てくれた人がグッズのTシャツを買ってくれるよりもギターを買いに言って音楽を始めてくれる方が嬉しいと話していました。

 

ちなみにこの話しには続きがあってファンの方がラーメン二郎の店員になって大活躍しているそうです。

せっかく何かに大きな影響を受けたのなら受け手側にいるだけでなく、自主性を持って自ら動いてみてはどうでしょうか?

誰かに期待したり、言われたから仕方なくやるのではなく自分で歩く道を決めてその道を進んで欲しいと思います。

 

世の中の構図と真実

少し話しが飛びますが世の中は9割の何かを受け取る側の人達と1割の何かを発信する人達の構図で出来ています。

あなたが何かに大きな影響を受けたのならそれは何かを発信していてそれを受け取ったから影響を受けたことになります。

何が言いたいかというと受け身のままでは一生誰かのレールの上にしかいられないということです。

 

誰しもその人だけの輝く才能があるのにそれを発信していかないなんてもったいないと思います。

今は誰もが簡単に自分のメディアを持って発信することができますし、自分のメディアを持つことも当たり前の時代です。

 

プレイヤーになることは危険なのか

自分のメディアを持って発信者側としてプレイヤーになることを恐れる人は多いです。

それはそうですよね。

今まで受け身だった側から一気に世の中を動かす1割の発信者側に回るわけですから。

 

でもそれは心配無用です。

これだけネットが普及した社会になって誰かに批判されたり嫌われたりするのが怖いのだと思いますが、それはどんな世界で生きていても一緒です。

「自分を出して何かを発信していく」ということは必ず批判もされます。

 

これはプレイヤー側になった誰もが通る試練なのだと思います。

それよりも自分を出さずに当たり障りのないことばかりしていたら誰の心にも響かないことしかできません。

それの方が寂しいと思いませんか?

 

批判されるということは何か響かせることはできているということです。

自分の想いや理念を発信し続けていけば必ず応援してくれる人も現れます。

そんなあなたのことを理解してくれる本当の応援者のためにあなたらしさを出していけばいいんです。

 

批判を恐れる必要はありません。

一度きりの人生です。

自分自身を出して自己実現していきましょう。

 

今のままでも世界は回っていく

仮にプレイヤー側に回らないとしてもこの世界は何も変わることはありません。

むしろプレイヤー側に回っても世界は変わらず回る場合がほとんどでしょう。

ではなんのためにやるのか?

 

ものすごく単純な話しですがその方が人生が楽しいと僕は思っているからです。

人生を楽しんでいる人達は必ず主体的に生きています。

反対に誰かの人生を生きている人は不平不満だらけの人生になりやすいと言えます。

 

それは毎日みんなと同じことをして、思ってもいないことを空気を読むために言う人生かもしれません。

あるいはお金も時間もないのに、大切な人との時間もろくにとれない忙しいだけの生活かもしれません。

僕の場合は理不尽な組織で誰かに買われているのが自分の性に合いません。

 

そしてそんな風に思っている人は実はとても多いのではないでしょうか?

日本はみんなと同じ事をすることが正しいという教育を受けています。

だからそんな人達にこそ、自分のメディアを持って自己実現をしていってほしいと思っています。

 

あなたにしかできないことはあなたの存在に直結している

僕とあなたが違うように誰一人として同じ人はいません。

ということは自分をしっかり出すことができれば誰とも被ることはありませんよね。

これって一人一人がこの時代に存在していることに直結していると思うのです。

 

嘘くさい言葉を並べた上辺だけの関係で手を繋ぎ合う時代はもう終わっているんです。

一人一人が自己を確立して自分の足で立つ時代です。

国や会社に期待して自分の思った通りにならなったら愚痴を言うなんて寂しいと思いませんか?

 

「一人一人が立ち上がってお互いが大変な時には手を貸す」

お互いで切磋琢磨できる関係が一番いいと思います。

そのためにやはりプレイヤー側になることが僕は必須だと思います。

 

あなたは何かに影響を受けたことに対してどのように感じていますか?

是非自分なりに人生に生かして欲しいと思います。